頑張れ〜「団塊(ベビーブーマー)」

そろそろ定年を迎える「団塊世代」 だけど、まだまだ、頑張れるぞ〜  ベビブーマー応援隊

ふざけるな!後期高齢者保険制度

75歳以上の高齢者を差別する保険制度がスタートした。
法律制定時に与党の総務会長だったものが今頃になって、のほほんと制度に反対だとTVに出て言う。
厚労省の役人の肩を持つわけではないが、今になって梯子をはずされた感じだ。世論が騒ぐと日和って、手のひらを返す。まあ、自民党の議員はもともと政策や哲学よりも政権にいることを1番のプライオリティにしている人たちの集まりだから、当然のことといえばそれまでだがまことに嘆かわしい。

そもそも、健康保険制度は高齢になって医療費が嵩むので、医者にあまり世話にならなくて済む若いうちから被保険者になって、将来のために積み立てておくものである。
にもかかわらず、若いうちにせっせと払い続けたものにいざ医療費がかかる時になって、それまでのものはご破算にして、新たに受益者負担で高齢者だけの保険に強制加入させるという。
まったくの詐欺行為である。いくら国の財政事情が悪化しているからといって、このような詐欺行為を高齢者にする政府とは何だろうか?
あまり人の苦しみや痛みを理解できない小泉政権が導入したものであっても、実施するのは後期高齢者予備軍である福田首相の政権である。

本制度は団塊世代が後期高齢者になる時に対応するためだと聞くが、団塊世代はこれまでの間に自分たちが使う医療費をはるかに超えた保険料を支払い続けてきた訳で、それをしっかり積み立ててきていれば問題ないのだが、その余剰金を無駄な施設投資などをして食い潰してきたため、負担できなくなったためである。

そのツケを後期高齢者に押し付けるなどということは、まったく容認できるものでない。
また、立場が変わると意見が180度転換する厚労相のいい加減な発言はもういい加減にしてもらいたい。

聖火リレーならぬトーチリレー?

北京オリンピックの聖火リレーが始まった。案の定中国のチベットに対する人権弾圧に対する抗議行動が起こり、とてもお祝いの行事どころではなくなった。

もともと、大気汚染の問題や施設整備の問題、そして天安門事件やチベットでの虐殺など人権問題が指摘されていたにもかかわらず、IOCは北京開催を決めた。全く不可解な決定だったがそれだけ中国の政治力を実感させる出来事だった。

そうした中での聖火リレーだが、聖火リレーというのは文字通り火を消さずにリレーしていくもので、不測の事態で聖火が消えた場合は、種火から移して継続するものだと信じていたが、パリでの聖火リレーでは警備上の理由でバスで移動するため自ら聖火を消してしまった。火の着いていないトーチを運んでいるのでは聖火リレーだはなく単なるトーチリレーでしかなく、世界記録保持者の出場辞退やマスクを着用してのレースだの過去に例を見ないオリンピックになりそうだ。

まあ世界に類を見ない1国2制度の国だけにオリンピックも常識はずれの歴史的大会になりそうである。オリンピック開催で先進国の仲間入りを目指したことが、かえって恥部を世界中に露呈することになったのは皮肉なことである。

日本の政治家に信念はないのか?!

郵政民営化法が成立した。
衆議院も参議院も前回反対した議員のほとんどが一転賛成に回った。
まことに”日本的な”行動で、欧米人には全く理解できないのではないだろうか?

理由は総選挙で与党が圧勝したことを”民意”であるとして、民意が民営化を選んだからだという。
いかにも”もっともらしい”言い訳である。しかし、考えてみると全くおかしな理由である。

確かに、選挙の結果与党が2/3を超す議席を獲得した。しかし、得票数を見ると自民党と民主党の差はそれほど多くない。多くの選挙民が民主党に投票するという行動をとっている。民意というのは、結果としての議席数の差ほど圧倒的に与党を支持しているわけではない。反対票を投じ、郵政民営化反対を掲げて当選したものは、反対の民意の支持を得て当選したわけで、当然少数意見であってもそれを代表しているわけである。

何処の国に、自分と違う意見が多数だからといって、自分の意見を変えるような政治家がいるのか。
いったい何のために政治家になったのか? 自分の意見を持つことなく、単に多数派につくようなもののために血税を使うことなど全く許しがたい。

国民はこうした政治家に二度と議席を与えてはいけない。

エンディングノート

終末期の医療や葬儀の希望、肉親へのメッセージなど「死」に際してのメッセージを生前に書き残すことができる「ノート」が、中高年の間で広がりを見せているそうだ。
今日3/15(火)夜7:30〜7:56NHK総合テレビで放映の「クローズアップ現代」で山田太一をスタジオゲストに迎え、中高年に今人気の「エンディングノート」の広がりとその背景を紹介していた。高齢社会を迎え今後ますますエンディングノートが広がりを見せるのではないだろうか。

自分を記録するエンディングノート『人生の引継ぎ帳』
1冊:2,000円

「以前」と「最近」

「以前はこうだった...」、「最近はこうだね....」などと過去との比較をすることがよくあるが、一体「以前」とはいつ頃のことをさしているのか? ケースによってまちまちだが、歳をとると数十年前、場合によっては半世紀近くも前だったりする。「最近の小学生は...」などと言う場合は、比較するのが自分が小学生だったときとなると半世紀近くも昔となる。そこまで遡らなくても、自分の子供が小学生だった頃との比較であっても10年近く遡ることになる。団塊の世代は終戦後まもなく生まれ、半世紀以上の間、世の中が目まぐるしく変化する中を生きて来ている。その分比較対象できる経験が多い。
仕事の関係でアジアの国を訪れることがあり、中でもタイ、中国には良く行く。日本が豊かになった後の状態しか経験していない年代のものにとっては、発展途上国の状態は珍しく、理解しがたいものもあるようだが、貧しい時代の日本を経験してきた私には実に理解しやすい。超高層ビルが立ち並んだり、フランチャイズチェーン店が多く進出し、一見すると先進国と変わらない風景であっても、一方で昭和30年代のわが国と似ている部分も多い。
今はまだこうしたものを経験している40〜50代が現役で企業や役所の要職についているので問題ないが、今後豊かさしか経験していない、あるいは家庭、学校でまともな躾、教育を受けていない30代が日本をリードする時はどうなるのだろう?と危惧している。


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